こんにちは。大井です。
唐突ですけど、
今日の試合は入り方に気を付けよう!
みたいな人・チームってたくさんいらっしゃると思うんですが、今日は試合の入り方についての考えを書いていきたいと思います。
賛否あると思いますのであくまで暇つぶしにご覧下さい。
結論:どうでも良い
結論ですが、個人的には試合の入り方とかどうでも良いと思ってます。
正しく言うと、『試合の入り方』自体に意識を向ける必要はないと考えています。
こんなこと言うと、
入り方は大事だろ!
というご指摘ありそうですので以下丁寧に解説していきます。
『試合の入り方』ってなんだ?
そもそもで『試合の入り方』ってなんだ?ってことから考えていきます。
一般的には試合序盤のチームの雰囲気や士気のことを指すものでしょう。
ただし、試合の入り方とは良し悪しを判断するものではなく、基本的に『悪かった』という結果しかないとないと思ってます。
別の言い方をしますと、反省やミーティングにおいて『今日の試合は入り方が良かった』と表現されることは経験上ほとんど無いと感じています。
『入り方が悪い』とは?
次に『試合の入り方が悪かった』ということについて深堀していきます。
明確な定義はないと思いますが敢えて具体化するならば、
- 試合の序盤(特に初回)に四死球やエラー絡みで失点を重ねたり
- 攻撃側で送りバントに失敗したり
- 牽制死でアウトを献上したり
みたいな状態だと私は解釈しています。
上記のようなプレーが出ると「今日の試合は入り方が悪かったから次の試合は入り方を良くしよう!」みたいな議論に繋がっていきがちです。
が、私はこの風潮に疑問を持っています。
改善を試みる材料とするには全くもって具体性がないですし、話が抽象化して論点がズレていく感じがするからです。
要は、精神論に逃げていないか?ということです。
原因は個人のミスの積み重ね
上で言うところの入り方が悪い原因を分解して突き詰めると、いずれの場合も結局は個人のミスに帰着します。
そして、そのミスが本当に『入り方』と呼ばれる雰囲気や士気の影響に依って起きてしまったことなのかはドライに切り離して議論した方がベターだと考えます。
何が言いたいかというと、シンプルな技術不足の場合も多々あるということです。
また、投手における『立ち上がり』という表現も同様に使用されているように思いますが、単純な制球力不足に起因するケースも少なくありません。
具体的なプレーに目を向けた方が生産的
ここまで若干シビアな論調になってしまいましたが、「下手なんだから仕方ないだろ諦めろ」と言っているわけではなくて、いたずらに精神論に変換せずに具体的なプレー毎に振り返って対策を講じた方が良いというのが今日の意見です。
例えば、エラーしたなら守備練習すればいいし、バントミスしたならバント練習に精を出せば良いわけです。
精神的な反省をして色々と考えを巡らすくらいならば、その時間で技術練習に取り組んだ方が余程生産的であるはずです。
もっと言うと、練習に時間割いたほうが前向きに野球に取り組めると思ってます。
『入り方』を捨てれば逆に入り方は良くなる
ここまでの理由から『試合の入り方』という概念や議論はチームとしても個人としても捨ててしまって良いと考えています。
しかしながら、各選手が自分のプレーにフルコミットすることで逆説的に全体の雰囲気や士気の面でも好影響を及ぼすこともあります。
例えば、各選手がプレーのみに責任を持って試合前に黙々と基礎の確認作業に没頭している場面を想像して頂きたいんですが、自ずと適度な緊張感が生まれて傍から見たら十分な『入り方』に結果としてはなるのではないでしょうか?
まとめ
今回は試合の入り方について考えを述べてきました。
以上ご参考まで。
本日もありがとうございました。
ではまた!
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